皆さんは、人気絶頂のイケメン俳優であった沖雅也さんを覚えていますか?
『必殺シリーズ』や『太陽にほえろ!』などに出演されており、当時はイケメンだと女性人気があった俳優さんです。
そんな沖雅也さんですが、最期は突然の死でした。
今回は、沖雅也さんの自殺の原因や遺書の内容、日景忠男との関係について調査してみました。
消して明るい記事ではありませんが、ぜひ最後までご覧ください。
目次
沖雅也の死因は飛び降り自殺だった!なぜ自殺を選んだのか?
沖雅也さんの死因は、飛び降り自殺でした。
この情報が世間に出回った瞬間、多くの人が悲しみと悔しさを感じたと思います。
なぜ、沖雅也さんは自殺を選んだのでしょうか?
考えられる原因を様々な角度から見ていきましょう。
沖雅也のプロフィール
沖雅也さんのWiki風プロフィールを紹介していきます。
名前:沖雅也
本名:日景城児
生年月日:1952年6月12日
出身地:大分県
血液型:B型
趣味:盆栽・釣り・アンティークの家具や調度品収集
特技:スポーツ全般、盆栽
沖雅也さんは、1952年6月に大分県にて生まれます。
小学生の頃は手に負えない程いたずらをするなど、わんぱくな一面があったそうです。
その後、中学2年時の1966年12月、両親が離婚し、父に付くも、家庭不和により1968年1月4日、中学校の卒業前に家出をし、10万円の全財産とバッグ一つで上京しました。
氏名と年齢を偽り、住み込みで中華そば屋の店員やカステラ工場の配送員の助手など職を転々とし、最後はスナックのバーテンダーをしていたといいます。
そのスナックにて、オスカープロモーション設立前の古賀誠一にスカウトされ、古賀が沖を日活関係者に紹介し『ある少女の告白 純潔』で銀幕デビューしました。
そのセレブレーションパーティーにて、王子中学校の校長が沖雅也さんに中学の卒業証書を手渡しました。
高校は、通信教育で卒業しています。
その後、様々な舞台で活躍するも大きな役には付くことができず、日活を退社し、松竹へと移籍しました。
松竹では、『必殺シリーズ』や『太陽にほえろ!』などに出演し、一躍有名俳優になりました。
沖雅也の自殺の原因は躁うつ病
沖雅也さんの自殺の原因は、忙しさから精神的に不安定になったことによる『躁うつ病』ではないかと言われています。
精神安定剤を服用するようになるまでに追い込まれていたようで、かなりひどい状態だったことがわかります。
京王プラザホテルで飛び降りか?
沖雅也さんは、京王プラザホテルの屋上から警備員を振り切って、飛び降り自殺をしたという情報がありました。
京王プラザホテルの高さは約170メートルで、当時は超高層ホテルとして有名でした。
このことから、確実に死にたいという気持ちが現れているのではないでしょうか…。
【涅槃でまってる】沖雅也のホテルの部屋には遺書も発見
沖雅也さんの止まっているホテルの部屋には、遺書がありました。
今・・・プラザホテル様へ大変申し分けなくおゆるし下さいませ。 つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。 人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。 若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。 人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。 老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを、離れた境地を求めることが正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。 (便箋の裏には、)おやじ 涅槃で まってる 沖雅也
そこには『おやじ 涅槃(ねはん)で待つ』という言葉が書かれており、遺書にあった『おやじ』とは、75年に沖雅也さんが実父を亡くした後、養子縁組した義父であり、後ほど紹介する所属事務所の社長でもあった日景忠男さんのことでした。
日景忠男が語る「沖の自殺は事故みたいなもの」
日景忠男さんは、沖雅也さんの自殺に「沖の自殺は事故みたいなもの」と発言をしています。
というのも、沖雅也さんは、日景忠男さんからの嫉妬や束縛が嫌になり、自殺当日は財布から50万円を盗み、京王プラザホテルへ泊まっていたというのです。
京王プラザホテルで沖雅也さんは、風俗嬢を呼び事を済ませた後、1通の手紙を渡し、日景忠男さんへ渡してほしいと頼みました。
そこには『ホテルに迎えに来てほしい』という言葉があったといいます。
ではなぜ、自殺なんてしたのか…。
どうやら、最上階のバルコニーの縁で座って一服をしていた沖雅也さんへ警備員が「何をやっているんだ!」と声をかけたところ、バランスを崩すかのように落ちたと説明しました。
なので、「沖の自殺は事故みたいなもの」と発言をしたようですね。
沖雅也の自宅にも遺書が発見
沖雅也さんの遺書はホテルにあった1通だけではなく、自宅にももう2通あったといいます。
私は生きる気力を失い苦しさに負け、死を選びます。 私の死は、私自身の人間としての問題で有り、沖雅也としてでなく日景城見として、死んでいきます。 一:日景家一同様、名を汚して申しわけ有りません。許してください。 一:日景忠男殿、あなたにうけたあたたかい思いやり、身にしみて感じておりました。一五年、大変お世話になりました。楽しい日々でした。お元気で、ありがとう。
自宅にあった1通目の遺書には、『私は、生きる気力を失い苦しさに負け、死を選びます』と書いてあったそうです。
私沖雅也は生きていく気力を失い自殺します。 この自殺は私個人の問題で有り、人を傷つけた私のせめてものおわびです。 死という弱い、卑法なことでしかおわびの方法を知らない私をお許し下さい。 他人に迷惑のかからぬ様死にたかった・・・・ 日景忠男殿、あなた様のこの一五年の心苦いかばかりか察するにあまりあります。 あなた様から受けた人生道、人間道、身にしみて、心より感謝いたします。一心同体で歩いてきた道ですが途中で投げ出す私をおゆるし下さい。 あなた様に何もしないで、何も言わないで死んでいく私を、おしかり下さい。 私のごとき男がそばにいてはあなたの人生がダメになります。 有りがとうございました・・・・お世話になりました。
2通目の遺書には、『この自殺は私個人の問題で有り、人を傷つけた私のせめてものおわびです。』と書いてあったそうです。
精神的にかなり病んでいるのか、自分を攻めるような言葉が並んでいました。
沖雅也と養父日景忠男は恋人関係だった!?沖雅也はゲイだったのか?
沖雅也さんと養父の日景忠男さんは、恋人関係だったという噂がありました。
遺書の中で『おやじ』と書かれていた日景忠男さんですが、沖雅也さんがデビュー前に働いていたスナックで出会ったようです。
そのスナックというのがゲイバーだったというのです。
なので、沖雅也さんはゲイなのではないかとも噂されています。
沖雅也と日景忠男は愛人契約を結んでいる
沖雅也さんと日景忠男さんの間には愛人契約というものがありました。
沖雅也さんの実父が亡くなった際に日景忠男さんは、養子縁組をし、同性結婚のような形をとったといいます。
生活のために関係を結んでいた
ここまでの話を聞いて多くの人が沖雅也さんは、男性が好きなのだと思われると思います。
しかし、沖雅也さんは女性が好きだったようで日景忠男さんとの養子縁組は生活のために結んでいたようでした。
また、沖雅也さんは日景忠男さんからの束縛や嫉妬が激しく、その影響でどんどん精神的にも病んでいったと言われています。
池袋のゲイバーで働いていた?
デビュー前に働いていたスナックが、池袋のゲイバーではないかと言われています。
どのお店かまでは言われていませんが、場所柄池袋のどこかのゲイバーではないかとされているようです。
実際、そこで日景忠男さんと出会っていることから、ほぼ100%働いていたとされています。
本命の恋人は坂口良子?
沖雅也さんの本命の恋人は、坂口良子さんではないかと言われています。
沖雅也さんと坂口良子さんは共演回数が多く、仲も良かったことから本命の恋人ではないかと言われたようです。
しかし、2人はお付き合いしているのではなく、仲の良い兄弟のような関係だったそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、沖雅也さんの自殺の原因や遺書の内容、日景忠男との関係について調査してみました。
沖雅也さんの自殺は、当時世間を騒がせましたね…。
実際、自殺なのか事故なのかはわかっていませんが、遺書を何度も書いていることから自殺願望はあったのかもしれません。
改めて、御冥福をお祈りしたいと思います。