やしきたかじんさんは、はっきりとした物言いで人気を博し、関西を中心にバラエティ番組や情報番組の司会などで活躍していました。
また、歌手としても「やっぱ好きやねん」「東京」など数々のヒット曲がありますが、2014年に64歳で亡くなりました。
やしきたかじんさんは、2012年に食道がんを公表して芸能活動を休止していましたが、その死因について数々の謎がささやかれています。
また、巨額の遺産を遺したとも言われており、その全てを相続したと言われている32歳年下の妻のその後も気になります。
今回は、やしきたかじんさんの死因や妻のその後についてを、やしきたかじんさんが芸能界に遺した伝説と併せてご紹介します。
目次
やしきたかじんの死因は窒息死?ガンではなかった衝撃の事実とは?
やしきたがじんさんが2014年1月3日に64歳という若さで亡くなる前、末期の食道がんで緩和ケアの状態だったと言います。
しかし、亡くなる直前に会ったという人たちの証言によると、やしきたかじんさんは至って元気で、とても緩和ケアをしている人のようには見えなかったとのこと。
亡くなった5日後にあたる1月8日にはハワイに行く予定で、チケットも購入していたとのことから、やしきたかじんさんの死因は別にあったのではとの噂があります。
ここでは、やしきたかじんさんの死因について解明していきたいと思います。
やしきたかじんの死因は正月の餅で窒息死?!
やしきたかじんさんが亡くなったのが1月3日だったことから、正月の餅を喉に詰まらせたのが死因だったとの噂があります。
緩和ケア中のやしきたかじんさんは、自宅でお正月を迎えていたのですが、食事を喉に詰まらせて救急搬送されました。
食道がんの場合、腫瘍の切除や放射線治療をすると治療した部分の食道が狭くなるため、食べ物が詰まりやすくなったり、飲み込みの力が低下します。
やしきたかじんさんの場合、そのせいで食べ物が喉に詰まったと考えられるので、餅を詰まらせたのが直接の死因ではありません。
この情報を聞いた人が、「正月にありがちな高齢者が餅を詰まらせて亡くなる」ニュースと繋げてしまってその情報をネットで広めたと考えられます。
やしきたかじんの死因は心不全だった?
やしきたかじんさんは心不全で亡くなっていますが、厳密に言うとこれは死因ではありません。
一般的に「心不全」が病名のように思われていますが、心不全は病名ではなく心臓の機能が低下したり、機能が失われるという状態のことを言います。
そのため、死亡診断書に死因が心不全と書かれることはありません。
「心不全で亡くなった」とは正しく言うと、何らかの病気が原因で心臓の機能が失われて亡くなったということになります。
やしきたかじんさんの場合も、他の病気が原因で心臓の機能が失われて亡くなったということになります。
やしきたかじんの死因がガンという声も!食道がんステージは?
やしきたかじんさんの死因は、食道がんの可能性が高いです。
やしきたかじんさんは、2012年1月31に自身の公式サイトで早期の食道がんを公表して、その後、芸能活動を休止しました。
しかし、この時点で食道がんはかなり進行していて、決して早期のものではありませんでした。
ところが、抗がん剤治療やがん細胞の切除手術を受けた後は主治医が驚くほどの回復を見せ、北海道に移住したり、ハワイの別荘に行ったり、ゴルフをしたりと通常の生活に戻っています。
2013年3月には仕事復帰まで果たしたのですが、その2か月後再び活動を休止して、そのまま帰らぬ人となったのです。
やしきたかじんさんの食道がんのステージは公表されていませんが、亡くなるまでの期間が短かったことから、かなり進行していたものと考えられそうです。
やしきたかじんの食道がんは酒とタバコが影響?闘病中も好き放題やっていた?
食道がんの主な原因は、酒とタバコと言われています。
お酒を飲むことによって、体内に発生するアセトアルデヒドは発がん性物質で、アセトアルデヒドを分解する酵素を活性化させる力が生まれつき弱い人は、食道がんになる可能性が高いのです。
また、飲酒に併せてタバコを吸う人は、より食道がんになる可能性が高くなるとされています。
やしきたかじんさんは、かなりの酒豪で知られていて日常的に大量の飲酒をしていた伝説があり、葉巻を含めタバコもかなり吸っていました。
やしきたかじんが妻に残した最後の言葉とは?
やしきたかじんさんが32歳年下の妻に遺した最後の言葉は「ちょ~飲みに行ってくるわ」でした。
この時すでに、やしきたかじんさんは緩和ケアの状態といわれていました。
とても飲みに行ける状態ではなかったと思われますが、普段から弱気な所を見せず冗談を言う人だったため、最後の言葉も普段と変わらない言葉になったようです。
やしきたかじんさんは、自分の死期を悟っていたようで正月に自分が死ぬようなことがあったら「絶対におめでたい正月が明けるまでは口外するな」という遺言を残してしました。
やしきたかじんの死因に嫁が関係しているという噂も?
緩和ケア中のやしきたかじんさんが、食べ物を喉に詰まらせて亡くなったという報道を受け、妻が何か関係しているのではないかという噂が出ました。
その噂というのが「食道がんで飲み込む力が低下していた、やしきたかじんさんに妻がわざと餅を食べさせて喉をつまらせたという内容でした。
前述のとおり「餅が喉に詰まった」というのも事実ではないためデマの可能性がとても高いです。
やしきたかじんの嫁は訴訟も起こしていた?
やしきたかじんさんが亡くなった10か月後、夫との夫婦愛ややしきたかじんさんの闘病生活を描いた本「殉愛」が百田尚樹さんによって出版されます。
その著書の中で、やしきたかじんさんと前妻との間に生まれた娘についても触れているのですが、その内容が娘を貶めているとして娘から訴えられました。
また娘が訴訟を起こしたことについて報道した新聞社が事実とは異なるとし、妻から訴えられる事案も発生しています。
さらに、やしきたかじんさんの元弟子・打越元久さんからも「やしきたかじんさんの意志を無視して相続財産を私物化している」と言われたことに対し、打越さんに対して名誉棄損の訴訟を起こしています。
やしきかたじんさんや著書の出版をめぐりさまざまな訴訟がありましたが、敗訴や和解によって収拾がついたようです。
やしきたかじんの莫大な遺産の行方は?32歳下の嫁が相続?!
やしきたかじんさんは、食道がんの療養中に32歳年下の女性・さくらさんと再々婚しています。
さくらさんとは3年間交際していて、闘病生活を支えてもらっている中で結婚を意識したとのことです。
やしきたかじんさんは芸能界で大活躍していたため、その遺産は莫大なものと言われていました。
ここでは、やしきたかじんさんの遺産がどのくらいあったのか、またその遺産の全てを妻・さくらさんが手にしたのかについて解説してきます。
やしきたかじんは10億円以上の遺産を自宅で保管していた?!
やしきたかじんさんは10億円以上の遺産を自宅に保管していたとの噂がありますが、亡くなった時に自宅にあったのは2億8千万円でした。
その現金の他に預貯金、有価証券、国内外のマンション、ゴルフ会員権、不動産など合計して遺産は10億円以上と言われています。
やしきたかじんさんは亡くなる直前の2013年12月29日、弁護士と自身のマネージャーを入院先の病院に呼んで、遺言の作成を頼んでいます。
やしきたかじんの遺産は全額最後の妻、さくらさんが手にしたのか?
やしきたかじんさんは、「危急時遺言」を作成しました。
これは、自分で署名押印できない状態の遺言者が、証人の前で口頭で遺言を伝えてそれを遺言状にするというものです。
弁護士とマネージャーを病室に呼んだ時のやしきたかじんさんは、話をするのもやっとの状態であり、手が震えて自分で遺言状を書ける状態ではありませんでした。
その遺言の内容は、約10億円の遺産のうち4億円を妻・さくらさんに相続させるというものでした。
やしきたかじんの遺産は億単位で寄付されていた?
やしきたかじんさんの遺言書は、約10億円の遺産のうち6億円を大阪市や国、やしきたかじんさんの母校である桃山学院高校などに寄付をすると書かれていました。
大阪市は、やしきたかじんさんの遺志ということで、JR大阪駅の「うめきた2期」再開発にその寄付金を使うとしています。
やしきたかじんさんは生前、当時の大阪市長である橋下徹さんに寄付の意思を伝えられていたとのことで、出来る限りやしきたかじんさんの最期の遺志を反映したいと説明しました。
やしきたかじんの伝説エピソード3選!結婚歴や酒豪話が規格外?東京嫌いの真相とは?
やしきたかじんさんは酒とタバコが大好きで、自分のコンサートのステージ上で水割りを飲み、タバコを吸いながら歌を歌わず、しゃべり続けたことがあるそうです。
京都の祇園や大阪の北新地など夜の街では、数多くの豪快なエピソードをたくさん残しています。
ここでは、やしきたかじんさんが残したたくさんの豪快エピソードをご紹介していきます!
伝説①ガン闘病中に飲酒していた?
やしきたかじんさんは、病気になる前は高級クラブでがんがんワインを飲んで、店で朝まで寝てしまうこともよくありました。
食道がんが発覚して一度目の療養生活後も、すぐに酒とタバコを再開したため、周囲は心配していましたが、やしきたかじんさんが周りの声に耳を傾けることはなかったようです。
やしきたかじんさんは亡くなる直前までハワイでお正月を過ごす予定でした。
闘病中にもかかわらずアメリカ本土にしか売っていない「オーパス・ワン」という高級ワインを友人に頼んで箱買いしてもらっていたとのことです。
伝説②やしきたかじんの結婚歴が凄い?年下にモテまくり?
やしきたかじんさんは、優しくてマメなところがあって女性にはとてもモテていたそうです。
その証拠に3度の結婚をしていて、1人目の妻とは20代前半で結婚して娘さんが1人います。
2度目の結婚は1988年、44歳の時で15歳年下の和服モデルの女性でしたが、2006年に妻から離婚届けが送られてきたそうです。
そして3度目が、やしきたかじんさんの最後を看取ったさくらさんとの結婚でした。
伝説③即興ストリートライブで20万を荒稼ぎしていた?
やしきたかじんさんは、大阪の北新地でストリートミュージシャンからギターを奪って弾き語りをしていたことがあります。
2004年頃の話なので、やしきたかじんさんはその頃すでに大物芸能人だったので、ひとだかりができていたそうです。
そこで通りかかった元野球選手の金村義明さんに声をかけ、一緒に何曲も歌い、顔なじみの社長が通ると「財布を出せ」と言ってチップを払わせました。
その話を後日、テレビ番組でやしきたかじんさん自身が「ストリートライブで20万稼いだ」と語っていて、全額そのストリートミュージシャンに渡したとのこと。
実際の金額は7~8万円だったようですが、豪快ぶりが伺えます。
やしきたかじんは東京進出を考えていた?東京嫌いの真相が明らかに!
やしきたかじんさんの東京嫌いはとても有名でした。
大阪出身で大阪のテレビ番組に多数出演していた、やしきたかじんさんの大阪での知名度は圧倒的でしたが、東京ではあまり知られていません。
大阪から東京に進出してくる芸能人が多い中、やしきたかじんさんは東京で冠番組を持つことを拒否していたそうです。
大阪では思い通りになることでも、東京だとそうはいかないことが歯がゆかったのがその理由と言われています。
そんなことから「東京嫌い」と言われて広まったのですが決してそうではなく、大阪から発信する番組を東京の人に見てもらうようになりたいというのが、やしきたかじんさんの本心だったようです。
やしきたかじん死因の真相!遺産の行方と32歳下の妻さくらのその後
今回は、やしきたかじんさんの死因の真相や、その後、遺産が全額妻・さくらさんに遺されたのかについて、やしきさんの東京嫌いなどのエピソードと併せてまとめました。
やしきたかじんさんの死因は食道がんで、多額の遺産は各種団体への寄付と妻・さくらさんに遺されたことがわかりました。
また、やしきたかじんさんには酒とタバコ、女にまつわる豪快エピソードもたくさんありましたが、東京嫌いだけは少し違ったようです。
やしきたかじんさんの豪快な人柄や行動は、まさに昭和のスターのエピソードで、今後、やしきさんのような人はもう芸能界には出てこないのかもしれません。