「異邦人-シルクロードのテーマ-」という曲を知っていますか?
シンガーソングライターの久保田早紀さんが歌っていて、昭和の大ヒット曲だったので、カラオケなどで聴いたことがあるかもしれません。
「異邦人-シルクロードのテーマ-」は三洋電機のテレビのコマーシャルソングとして採用され、大いに話題になった曲です。
久保田さんは、その後も「25時」「九月の色」などヒット曲をリリースしましたが、いつの間にかメディアで見ることがなくなりました。
久保田早紀さんは現在、引退してクリスチャンになって布教活動をしているとの噂があります。
果たしてこの噂は本当なのでしょうか?
今回は久保田早紀さんの現在について、画像と併せてご紹介していきます。
目次
久保田早紀の現在が気になる!音楽宣教師ってなに!?
1979年に「異邦人-シルクロードのテーマ-」が大ヒットした久保田早紀さんですが、現在は久米小百合という名前で活動をしています。
現在の活動は芸能人ではなく、「音楽宣教師」をしていると言うのです。
「音楽宣教師」とはどんなことをするのでしょうか?
ここからは久保田早紀さんの現在の活動と「音楽宣教師」について解説していきます。
久保田早紀の現在は音楽宣教師として活動中!天職だった?
久保田早紀さんは現在、日本バプテスト連盟加盟協会の協会員をしています。
日本バプテスト連盟とは、埼玉県に事務所がある宗教法人「日本バプテスト教会」の連盟です。
「日本バプテスト教会」はキリスト教プロテスタントの一教派で、日本各地にある300以上もの協会がこの連盟に加入しています。
久保田早紀さんは1984年に芸能界を引退して、本名の久米小百合で音楽宣教師として活動を始めました。
音楽宣教師とは、音楽を通してキリスト教の教えを伝える仕事をする人です。
讃美歌や聖歌、ゴスペルなどを通して、キリスト教信者ではない人にもキリスト教を親しんでもらうという活動をしています。
久保田早紀さんは現在、各地のキリスト教会などで講演会やコンサートなどの活動をしています。
久保田早紀はクリスチャン仲間と復興支援?1通の手紙がきっかけ?
久保田早紀さんは2011年から「東北応援団LOVE EAST」という団体を立ち上げて、キリスト教の人たちと東北復興の支援をしています。
キリスト教も仏教と同じで宗派が分かれているのですが、この団体は宗派を超えて活動をしています。
東日本大震災の後、聖書を出版している団体に震災遺児について書かれた一通の手紙が届いたそうです。
その手紙には、津波で両親を失った震災遺児がたくさんいると書かれていて、久保田さんは「みんなが集まったら何かできるかもしれない」と思い、「東北応援団 LOVE EAST」を立ち上げたのです。
仮設住宅などに行ってコンサートや、ピアノがなくてもできるイベントなどを開催しています。
久保田早紀の過去が衝撃?異邦人ができたきっかけは?
多様化の時代と言われていますが、日本ではまだまだクリスチャンの人は珍しいのではないでしょうか。
久保田早紀さんがクリスチャンになったきっかけが気になりますね。
生い立ちや、若い頃の出来事に関係があるのかも知れません。
ここでは久保田早紀さんの生い立ちや過去、楽曲作成秘話についてご紹介していきます。
久保田早紀の生い立ちや家庭環境は?音楽ある生活?
- 本名:久米小百合(くめさゆり)
- 生年月日:1958年5月11日
- 出生地:東京都国立市
- 学歴:共立女子短期大学文化国語卒寮
- デビュー:1979年
久保田早紀さんのお母さんは音楽が好きで、娘にはピアノを、息子にはバイオリンを習わせたいと思っていました。
そのため、久保田さんは4歳からピアノを習い始めます。
お父さんも音楽好きで、イタリア製のアコーディオンでアルゼンチンタンゴを演奏するような人でした。
また、お祖母さんが三味線と日本舞踊をしていたため、久保田さんも習っていました。
そんな音楽一家に影響を受けて、中学生になった久保田さんは同級生とバンドを組んで、ボーカルとキーボードを担当しています。
この頃から作詞・作曲を始めています。
子供の頃はクリスチャンではなかったのですが、近くに教会があって聖書の話を聞いたり、歌を歌ったりしていました。
久保田早紀の異邦人ができたきっかけがやばい?スカウトは短大!?
短大生になった久保田さんは、雑誌の企画「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募します。
この大会は女性アイドルのコンテストなのですが、久保田さんはそれを知りませんでした。
自分が歌った歌を録音したものを送るという応募要項を見て、自分の歌をレコード会社の人に聞いてもらいたいとの気持ちから、コンテストに応募したのです。
コンテストで優勝することはありませんでしたが、ディレクターの目に留まり、スカウトされデビューを目指してレコード会社に通うことになります。
久保田さんの八王子の実家、都内の大学、レコード会社を往復する毎日を過ごしている時に、「異邦人」という曲が生まれました。
電車の中でメロディーや歌詞を作っていたそうです。
久保田早紀はデビュー後に苦悩?クリスチャンになったきっかけは?
「異邦人」が大ヒットした久保田早紀さんでしたが、芸能界は居心地が悪かったそうで、わずか5年程度で引退してしまいました。
忙しく仕事をして、あこがれていた大物芸能人がすぐ近くにいるといった状態に違和感しかなかったとか。
自分がスター扱いされることが辛くなっていたようです。
そんな中、子供の頃はクリスチャンではなかったものの、教会に通っていた経験を思い出し、自分のルーツのような気がして1981年に洗礼を受けました。
教会では、自分を久保田早紀として見る人は少なく、みんな平等に扱われることが救いになったとも語っています。
久保田早紀は現在、音楽宣教師?異邦人のルーツを探る
今回は「異邦人」が大ヒットした昭和の歌手・久保田早紀さんの現在について画像と共にご紹介しました。
久保田早紀さんは芸能界を引退していました!
引退後は名前を久米小百合に変え、クリスチャンになって音楽を通して布教活動をする音楽宣教師になっています。
それは決して神がかったものではなく、讃美歌をBGMのように気軽に聞いてほしいといったラフな形の布教活動です。
久米小百合さんの音楽宣教師としてのコンサートは、久保田早紀時代のファンも訪れるそうです。
クリスチャンでなくても大歓迎とのことのなので、久保田早紀さんを懐かしく思う方は行ってみるのはいかがでしょうか。